愚痴ってもしゃーないってのはベースの考え方。
そういえば、昨日ツイートしたときに「続きはWebで!」でもしようかと思ったことを引っ張ってみましょうかね。
根っこは、「いじめをした児童・学生に厳罰を」みたいなニュース。
「それじゃ甘すぎる」って話をする人も居ますが、自分はそうは思わないなぁ...という話。
学齢のいじめ。「罰があるからしてはいけない」が理由になっちゃダメなんだよね。何でダメなのかを分からせないと根本的解決にはならないからね。
— いがらしさん (@kimahima) 9月 5, 2012
「怒られるから」とか、「罰があたるから」やらない。じゃ何の解決にもならないと思うのです。
親の前だけ「いい顔」をするのを生んでしまうのが、この抑圧だと思うのです。
駄々をこねる子どもをどうなだめるかも同じ事。
— いがらしさん (@kimahima) 9月 5, 2012
「恥ずかしいから泣かないで!」と子どもを叱る親御さんも少なからず見たことがあるわけで。
これって、「恥ずかしい」のは「親」の話であって、子どもが泣きやむ理由にはならないんだよね。
なぜ、泣いて騒いでいるのか。
そこを説明してあげないといけない。
子どもにだって「知性」はあるし、「知性」を磨くための「体験」をさせてあげなくてはいけないと思うんだよね。
「どうしてダメなのか」の理由が「怒られるから」で止まっちゃダメなんだよね。どうして怒られるかを考えさせなきゃダメだし、怒る側も感情に任せず何で怒っているのか伝える怒り方が必要。
— いがらしさん (@kimahima) 9月 5, 2012
「怒られるから泣かない」じゃなくて、「どうして泣いたら怒られるのか」。
これを考えるのが必要なことなんだよね。
そして、情に任せるんじゃなくて、それを伝える怒り方が必要なんだと思うんだよね。
自制を育てるか恐怖で抑圧させるかぐらいの差はあると思っているよ。
— いがらしさん (@kimahima) 9月 5, 2012
恐怖や罰で抑圧させることは、考えることすら放棄させてしまう。
「罰を与えるべき」とか簡単に言っちゃう人は、こういうことも考えてくださいね。という話。
「悪いこと」をした人には、然るべき「何か」が与えられるべきという考えは分かりますが、安易に「罰を与えるべき」ってのは自己満足の域を出ることは無いんだから。
というのを、分割するとこんな風になったよって話。