Twitterで「人RT」で検索すると、なんか切なくなります。
だいたい、「○○な人RT」というのが多く引っかかるのですが、まぁ色んなものが出てくるわけで。
たとえば、「○○が好きな人RT」だとか、「○○な人RT」とか。
ネガティブな「○○が嫌いな人RT」と言ったものもある様子。そういったのがこの検索でイロイロ見ることが出来ます。
なんていうかさ、「コミュニケーション」といえば聞こえはいいけど、どれだけかまって欲しいんだろうなぁ・・・って思うわけで。
今日見かけた中でなんだかなぁ・・・感が一番強かったのは、「俺がTwitterやめるとしたら引きとめてくれる人RT」というもの。
やめる気も無いのに、RTされるのを予想した上で「俺ニンキモノ!」とか思っちゃうためのつぶやきなのかなぁ・・・と。
あと目立ったのは「明日入試なので応援してくれる人RTお願いします」というもの。
自分から要求するって何なんだろうねぇ・・・と思うわけで。
まぁ、この時期に「入試」と言うことは高校入試、つまりは中学3年生のつぶやきなんですけどね。
余計なことやってないで勉強した方がいいよ!(笑)
・・・って言ったって実感沸かないし、どうでもいいことをしたくなるよね。
公立高校に落ちた自分が言うんだから間違いない(笑)。
というかさ、応援なら「RT」より、一言メッセージ送ればいいんじゃないの?
そんなのすら面倒な「友達」とか「相互フォロー」にどんな価値があるのさ?と思うんですけどね。
でも、「数を増やす」ってのは分かりやすいから競いたくなるんでしょうな。
でもって、「○○するやつこの指とーまれ!」みたいなテンションでやるんでしょうが、それが同級生だらけの教室のノリでやればいいんでしょうが、Twitterは老若男女魑魅魍魎がうごめいているところでやると、微妙な雰囲気になるよね・・・と。
ためしに、地元で一番大きい駅の朝夕ラッシュの時間帯にやってみればいいんじゃない?とか思うんだけどね。
その「恥ずかしい感じ」を、あなたは全世界に向けてやってるんだよ?って話になりますから。
ま、ちょっとイタい目にあったほうが学習するんじゃないかな?って思いますけどね。
煽ったり叩いたりするのを生業にしている方々がいらっしゃるのも事実ですけどね。
「インターネットで発言する人は同等」と思ってはいますが、どこかで「昔近所にいたカミナリ親父」みたいな人も必要なのかなぁ・・・とは思いますけどね。
ま、それが難しいんでしょうけどね。