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2012年2月24日(金)

原因はひとつじゃない。

試合には負けても、インパクトは絶大だったなぁ・・・。
そんな感想をサッカーの日本vsアイスランドの試合で感じた今夜、いかがお過ごしでしょうか。

アイスランドのスローインのときに飛び出した「ハンドスプリングスロー」。
解説までもが「10年ぶりに見た」と話したエキサイティングなスローイン。

ボールを持ったまま、前方倒立回転し、その勢いで飛距離を伸ばすという荒業らしいです。

ただ、ファールスローを取られ易いとか、狙いの正確性が劣るということで、余り使わなくなった・・・ということだそうです。

で、そんな必殺技を結構な回数やったようで。(途中見てなかったので正確な回数は分かりませんが、5回以上はやっていた様子。)

最初はどよめき、その後はスローインのたびに会場が沸いていたので、引くに引けなくなったんでしょうな。

でも、話題性というか、エンターテイメント的には間違いなく一番でした。


さて、そんな本日のお話。
「平均」の意味を大学生の24%が理解していないというニュースがありました。(YahooNEWS)

「それでも大学生か」「だからゆとり世代は」って方向で話を進める方々が多い感じがしますが、コレって「教える側」の問題なんじゃないのかなぁ・・・と思うわけで。

「どうして分かるように教えなかったの?」って方向に向かないのがなんだか不思議。

ニュース記事にも「求め方は分かるが、「平均より身長が高い生徒と低い生徒は同じ数いる」などの正誤については誤答が目立ち」って書いてあるワケですよ。

コレって、試験(入試とかもね)では、「平均とは何ぞや」よりも、「平均はいくらでしょう」って言うのを求める問題が多く、配点も高いから、そっちを重点的に教えるっていう根本を抜いて語るのはなんだかなぁ・・・と思うわけですよ。

ゆとりだろうが知識不足だろうが学力低下だろうが、やるって決めたのも大人だし、それで想定した本来の方向性、「総合的な学力」というのを実現できなかったのも大人ってこと。

それを全部かっ飛ばして、「勉強しない学生が悪い」ってことにしておけば自分ら悪くないよね?って言いたげな感じがなんだかなぁ・・・と。

これに限らずどんな複合的な問題なはずなのに、分かりやすい「悪」をひとつ作って、それを叩きまくればいい!って感じがなんだかなぁ・・・って思うんですよ。

確かに「原因のひとつ」だとしても、それだけが悪いわけじゃないでしょ?って思うんですよ。

今回にしても、「平均とは何ぞや」というのを余り重視しなかった教育要綱。
今回の内容を上手く伝えられなかった実際に教えた先生。
そして、学ぼうとしなかった学生。

それぞれに問題があるんじゃないの?って思うんですよね。
「それも分からないのか!」とバカにするのは簡単だけどさ、そうじゃないよね。って思うんですけどね。

でさ、結局のところ、「無いと損する知識」って、学ぼうとしなくても学ぶし、自然に身につくんだよね。

「無くても別に生活に影響が無い」って判断するとあんまり身につかないわけで。
中学からやっていてもダメダメな英語は完全にコレにハマってるわけで(笑)。

「外国人に道を聞かれたときに使えます!」とか言われても、相手が日本人でもそんなに聞かれないのに、外国人に聞かれるわけないじゃん!ってなっちゃうワケで。

そこいらの感覚も含めて考えないとダメなんだろうね。というお話でした。

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