誰かに「してあげる」ことが「常識」なのは、いい方向に動くことが多く、
誰かに「してもらう」ことが「常識」なのは、悪い方向に動くのかな?と思ったのです。
たとえば、「お年寄りや体の不自由な方、妊娠中の人には席を譲りましょう」ということ。
「席を譲る」側が、「譲るのは当たり前だ」と思うのは心がけとしていいと思うのです。
でも、逆に「席を譲られる側」が「譲られるのは当たり前だ」と思うのは、なんか違うんじゃないかな?って思うのです。
「譲られるのが当たり前」と思っていると、「譲らない人」は「悪」と映り、「悪に対しては罰してやりたい」と思うのか、座席を譲らなかった人をTwitterに晒した妊婦が「炎上」を引き起こした例もありました。
でもって、ここ数日で妙な炎上が流行っているTwitterで今日も炎上したのがこんな内容。
女子高生らしい人が「フォローを返さない人って何様?」とつぶやいたのがまぁ広がったワケで。(参考:Togetter 「あのさー、フォロー返さない人って何様?」による反応)
この人いわく、
「フォローを返すのは当たり前。」
「『RTした人フォローします』とは言っているけど、それでフォローされてもフォロー返しするのが常識」
「芸能人でもなんでもないのにフォローしない意味教えて欲しい。」
だそうで。
最初は、つい昨日流行った「18オクターブ半出せないと歌い手にはなれません」(参考:Togetter 18オクターブ半だせないと歌い手にはなれません)みたいな冗談だと思ったんですが、その時は見れたその後のほかユーザーとの会話を見ると、本気でそう思っている様子。
結局、2000人を超えるリツイートが行われた後、アイコン画像を写真からキャラクターに変え、フォロワーにしか見えないいわゆる「鍵つき」アカウントになっていました。
これも、相手に選択権がある「フォロー返し」という言うのを「してもらう」のが「常識」と思っていることを、もっともらしく言っちゃったのが炎上の原因でしょうな。
「してもらう」事を勝手に「常識」にして、勝手に怒ってるんだもん。
そもそも、「フォロー返し」に関しては、議論がイロイロあって、「フォロワー数を増やしてナンボ」と思っている人たちは「当たり前」と思っている人が多くて、それを利用してフォロワー数を伸ばしている人たちも事実居ます。
一方で、数百・数千のフォローをすると、自分のタイムラインが見れたものじゃなくなるから、それを嫌う人も多く居ます。
なお、自分も後者の考えで動いています。
Twitterの仕組み上、mixiなどのSNSみたいに「相互登録」じゃ無くて、「フォロー・フォロワー」と分かれている以上、「フォロー返ししない」はマナーでもなんでもないと思うんですよ。
それを「マナー」とするなら、分けないで「登録した友達リスト」みたいな感じにするはずですから。
勝手にルール作って、勝手に不快になってる人多いよなぁ・・・って思う今日この頃。
まぁ、インターネットでツイッターだから目立っているのかもしれないけどね。