学校の夏休みももう直ぐ終わったり、もう終わったりな季節になってきました。
毎年、学校の長期休暇になると、インターネット上は妙な傾向を示し始めます。
掲示板などには、程度の低い書き込みが増え、「荒れる」という状況になる・・・というもの。
「夏厨」と揶揄されるこの状況。少なくする方法ってないのかなぁ?なんて、風呂に入りながら思っていたのですよ。
なお、「夏厨」の語源をたどっていくと、「中学生と見紛うような幼稚な言動」から、「中坊」となり、おそらく一発変換できないことから「厨房」になり、夏に出没することから「夏厨」となったと思われます。
それはさておき、「なぜ、夏の荒れ傾向は収まらないのか」と。
風呂の中で出た結論は、「叱る人が居ないから」じゃないかな?と。
現実の世界で、「地域で叱る大人あが居なくて、子どものマナーがわるくなった」というのと、同じようなことがおきてるんじゃないかな?と。
「叱る大人が居なくなった」現実世界と違い、インターネットの場合は「叱る人が必要なかった」。
その結果、どんなことをしたって咎められないから、幼稚な行為を繰り返す。
そして、ソレを見た人たちが「そういうことをしていいんだ」と思い始める。
そんな感じなのかなぁ?と。
インターネットで、「叱る必要がなかった」というのは、元々がある程度の知識をもった人でないと使えなかったモノだから、最低ラインのリテラシーが高かったんでしょうね。
で、「インターネットを使っているんだから、ソレぐらいは当たり前」というラインが高いから、そういうことは明言する必要がないと思っているんじゃないかな?と。
その上で、重なるのが、「インターネットのトラブル回避の得策」。
「面倒そうなことはスルーしろ。」
その結果、リテラシーが高い人は、荒れた状況に首を突っ込もうとはしない。
そんな流れで、リテラシーの底上げにつながることはないのかなぁ?と。
現実世界であれば、誰かしら近いの人の目に付いて、叱られたり助言を受けたりすることがあるでしょうが、ネット上だと年齢すらわからない相手に助言を出すなんてことをする人は極少数でしょうしね。
そういうものを見かけたら、叱る、「インターネットカミナリ親父」みたいなのがいるといいのかな?とか思いましたが、前述どおり「年齢不詳」の相手に踏み込んで叱り付けるというのは難しいんだろうなぁ...と。
という、どうでもいい分析を風呂の中でしておりました。
かの、マザーテレサはこんな言葉を残しました。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
これは、こんなところにも適用されるのかもしれません。