終戦記念日です。
今年は、何故か戦争関係の番組が目に付くような気がします。
忘れてはいけない記憶かもしれませんが、それだけに捕らわれて前を向けなくなってはいけないし、その戦争に起因するマイナスの思いは次世代に継いではいけないものだと思います。
教訓を残すのはいいけど、怨恨は残してはいけない。
今年の戦争関係番組を見て、なおさら強く思いました。
いろんな考え方があって当たり前ですが、それに対するリスクとリターンを一切考えず、ヒステリックにそれを訴える人たちを見ていると、そういう人たちと同調する気にはならないんですよね。
某SNSで、プレビューが多そうなニュースを引用し、一覧に表示されるのを利用して、尖った思想をぶつけている方々を見てると、それってマイナスでしかないんじゃない?って思ったりも。
「手段は選ばないから聞いてくれ」って、押し付け以外の何物でもないでしょ?
インターネットは、個人で情報発信が容易に出来るメディアです。
いろんなことが自由に出来ます。
でも、「自由に出来る」というのは、「何をしても許される」という訳ではありません。
「我侭」と「自由」は別なものですからね。
話を変えましょうか。
お盆ということもあり、祖母の納骨堂に行ってきました。
お彼岸とかにも行きますが、その時より濃厚な線香の香りが建物の周りにも流れており、参拝客の多さを物語っていました。
妙なニオイだと思っていた線香も、だんだんとイヤじゃなくなってきている部分もあったりで、なんとなく厳かな気になっていました。
冒頭に書いた話とも重なりますが、亡くなった方を粗末に扱う気はありませんが、そこから動けなくなるのは問題で、何処かで割り切って前を向いて進まなきゃいけないワケで。
思うことと、それに捕らわれることは別だと思うんですよね。
まぁ、区別をつけるのは難しいですけどね。
と、いうのがワタクシの考え方。
「そうするべきだ」と書いてしまうと、ただの押し付け。
「各々考えるための材料」は渡す。でも、押し付けはしない。
そういう風に出来たらいいな・・・と頭の隅にいつも置いておきたいな・・・なんてね。