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2010年7月27日(火)

言ったモン勝ち?

なんか、面倒な世の中になったなぁ・・・と、某野球選手のTwitterを見て思う今日この頃。

その野球選手は「マツタケを食べた」という話をしただけ。

それに「この不況に贅沢できない人が多いんだから、みんなの憧れの人なんだから口に気をつけろ」というレスポンス。

なんなんだろうね、コレ。

正直、言いがかりのレベルだと思うんだよね。

個々人が自由に情報発信出来るようになった。
だからこそ、発言には気をつけなきゃいけない。

そりゃぁ、他人の目から見て、「それは止めたほうがいい」という発言はあるけどさ、なに食ったってつぶやいたって自由じゃない?って思うんだよね。


Twitterとか、匿名掲示板とか、ニコニコ動画のコメントとか、「短い文で気軽に」という文化は広がりつつあるけど、「対案は?どうすればいいの?」というのがスッポリ抜けていて、ただの罵詈雑言の言い合いになってるのが少なくないよなぁ・・・と。

ある物に対して「ダメ」だの「クソ」だの一言書けば、書いたアンタの気は晴れるかもしれないけどさ、それって周りに当り散らしているのとなんら代わりが無いんだよね。

そこには「なぜ」も無ければ、「こうすれば」も無い。

「ここはこうだから、そうじゃない」とか、「ここをこうすればよくなる」というのを、「短い文」というのは奪っている気がするんですよね。

夏休みに入ったところもあり、ネット上ではそういうモノが目立つ季節。
こんな適当な文章を読んでる人なんてそうそう居ないとは思いますが、その一言、書き込む前に少し考えを入れませんか?と。


そんな感じで、短文系のメディアにそっぽを向いて毎日日記を書いている次第でございます。

一方で、長文を好んで書く人たちにも問題はあると思うんですよ。
文章って、「人に伝えるもの」でしょ?

それなのに、専門用語やややこしい言い回しを多様して、「長い文はややこしくて面倒」という印象を与えたというのもあると思うのですよ。

学校で出されるレポートも、「○○文字以上」とか、「A4○○枚以上」とか。

「文章はわかりやすく簡潔にまとめましょう」という教えを守ってるとここで苦労するってオチですよ。

まぁ、そういう指定が無ければ、数行とかで終わらせる輩が飛び出してくるんでしょうが、んなもんバッサリ再提出でもさせればいいんですよ。

なお、ワタクシは学生時代に枚数指定で「本を読んで考察しろ」というレポートで、文中に出てくる数値を勝手にグラフ化して面積を稼いだ挙句、グラフにしたくせに「傾向はわからない」と書き連ねたことがあります。

まぁ、ちゃんと受理されて成績は悪くなかった気がします(苦)。

あとは、改行位置の調節や、ページの余白を気持ち調節して1枚の文章量を減らすとか。

名目上は、「読みやすいレイアウトを作るため」ですが、「枚数で指定するからこうなるんだよ!」なんて内心は思っていたりするんですけどね(苦)。


とまぁ、ガタガタ抜かしたって、自分が好きなように書けばいいだけ。
それに対してなんらかのご意見をしたいなら、ちゃんとした理由をつけましょうよ。てな話でした。

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