土用の丑の日。
この日にうなぎを食べると夏を乗り切れるといわれています。
が、大昔から伝承があるわけは無く、江戸時代に平賀源内が鰻屋の相談を受けて張り紙をしたことが始まりという説が強いようです。
こんなことから、平賀源内は「日本のコピーライターの元祖」といわれることもあるようです。
はてさて、そんな本日の話題。
「自分の目線」がすべてだと感じるのは危険だなぁ・・・と思うニュースを見かけたので、ソレを取り上げて書いてみたいと思います。
iidaに見るガラケーの未来(YahooNEWS→日経トレンディネット)
雑誌記事なので、そういう嗜好の人が買う雑誌の記事なんでしょうが、必死に「ガラケー絶滅論」を唱えている人って何なんだろうなぁ・・・と。
まず、根っこからだね。
「携帯電話を買いに大手量販店に行こう!」という人の層。
この筆者がおそらく関東住まいであると仮定すると、ここで言う「大手量販店」は、大きな駅の前にあるような都市型の量販店。
自分の住んでいる場所から、量販店に出向いて、携帯電話を変えようと思う層と、多機能でアプリ追加が可能なスマートフォンを好む層は結構近い気がします。
スマートフォンなんて手に取らないであろう、「携帯電話が多機能すぎて煩わしい」と感じる人たちは、間違いなく量販店で携帯電話を見ようとはしないと思います。
「端末を手にとっている人は居ない」
コレも、「スマートフォン」を買おうとするような、「マニア寄り」の層が少ない証拠だと思うんです。
ワタクシも「マニア寄り」なので、結構やるのですが、電源が入っているモックを明けてみて、動作の機敏さとかを調べたりします。
でも、コレ、気にしない人はまったく気にしないワケですよ。
モックなんて触らず、外見だけだったり、値段とかを見て決めるという層も結構あるようです。
この記事の冒頭の「煽り」に近い記事は、「量販店に来る層がそうだっただけで、日本人全員がそういうわけではない」ということ。
この記事の不思議なところは、まだまだあるのです。
「タッチパネル操作」がいいもので、「キー操作」が悪いものとされている点。
「日本メーカーがUIなどの苦手部分」と書いている時点で、欧米発のタッチパネルの方が長けてると言いたいのでしょうが、ワタクシは一長一短だと思います。
「多機能端末がいいもの」としているのに、紹介している「ガラケー」はどちらかといえば「見た目」に振った端末。
「現代の携帯電話に必須の機能を詰め込むあまり、独自性が失われた『ガラケー』」と、機能の多さを批難しておき、スマートフォンのアプリ追加による多機能化は「人気を博している」
なんか、アッチコッチに矛盾を感じるんだよね。
結局のところ「スマートフォンはすごいんだからみんな使えばいい」という結論ありきで、「ガラケー」と現在の日本の携帯電話を落として、「外見ぐらいでしか勝負できないよ」と付け加えたような気がします。
まぁ、ムダに長々と書いたこの日記も、「スマートフォンってもろ手を挙げて歓迎するほどなのか?」という結論ありきで書いてるって言われても否定できませんけどね(苦)。
なんか「何かがものすごく賞賛されている記事」には反論したくなる年頃なんです(笑)。