「声が大きい」というのは、「それを考えている人が多い」というわけでは無いと思うのです。
でも、そういう印象を与えるのは事実。
そのことに対して、「何も思ってない」と言う人は、声を出そうとはしないんだよね。
何も思っていない。
「別にいいんじゃないの?」ぐらいで、支持もせず、不支持もせず。
何事も、そういう人が一番多いんじゃないかな?と思うのです。
インターネットは、そういう「雰囲気」が非常に流れやすい特徴があると思うのです。
「極論」が目立ち、それに煽られた人たちが目立つことで、「そういう人が多いように感じる」気がします。
その人が見るサイトにもよりますけど、ワタクシ的には、「インターネット」の印象は、「実際の一般的」よりも、PCやアニメ系に寄っている感じがします。
まぁ、PCを使うのが当たり前で、ブログはともかく、Webサイトを作ろうと思うのは、知識とやる気がある人だから、PC系に寄るのは普通だと思うんですが、アニメ系に寄るってのは不思議な感じですね。
多分「PCとアニメの両方が好き」という人が少なくないんでしょう。
だから、秋葉原は電気街から「萌え」の街に変わっていったのかな?と。
あと、「オタク」って言葉もなんか不思議になってきましたよね。
本来の使い方で言えば、「鉄道オタク」とか、「ミリタリーオタク」みたいに、頭に何かが付いて、「それについて(不気味さを覚えるほどに)詳しい人」という言葉だったはずなのに、「オタク」と言うと、「アニメオタク」な感じになりましたよね。
「言葉」は生き物で、意味が変化して当たり前だと思っているので、それにどうこう言うつもりはないんですが、「政治オタク」とか、「ファッションオタク」いう言葉があってもおかしくないんだけど、そういう言葉はあんまり聞かないですよね。
結局のところ、「オタク」って言葉には、「好印象」が無いんだと思うんですよ。
なので、自称「一般人」が、煙たがるようなモノに対して付けられると。
その中で、アニメ系が物凄く特異に映った結果(報道が故意的に脚色して「映した」というのもありますが)、「オタク」という言葉が、現在のようになったのかな?と。
で、冒頭の話に軽くリンクしていくワケですが、この「オタク」と呼ばれる方々は、「声が大きい人たち」なワケですよ。
その声に答えた結果なのか、横目で見る「新しいアニメ」は似たような、いわゆる「萌え系」のキャラクターばかり。
ワタクシ自身がアニメやマンガから離れてきていることと、過去が美化されていることが、印象を脚色していることも否めませんけど、アニメとかマンガって、もっとバリエーションが無かったっけ?と。
視聴率が取れないから~だとかいう理屈は分かるけど、「対象」を絞って極化していっている感じがするのです。
根強いファンは残るでしょうけど、この先どうなるのかな?とは思いますけどね。
流行・廃りの流れが一周して、昔に流行ったモノとかが戻って来るのかもしれませんけど、「真似」以上のものを作れる人が居るのか・・・というと、また別の話。
作り手の目線に、「受け取る側」がいるかどうか。
それが、この辺のことに限らない「ものづくり」の大切なコトな気がします。
と、話が散らかりまくってますが本日の日記でした。
・・・何書きたかったんだろう?(ダメなものづくりの例:苦)