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2008年9月21日(日)

気持ちが一番大事

昨日、お彼岸ってコトで祖母の納骨堂に行ってきたんですよ。

こういうところに行くと、毎回思うのは「お参りの作法」ってどうするのがいいんだろう?ってコト。

きちんとした方法って言うのがあるんだろうけど、たいていの人が見聞きで覚えているから、曲解されててもおかしくない状況。

線香を立てて置くのか、寝せて置くのか・・・とか。

葬儀である「焼香」も、「3回やる」っていう宗派もあれば、「1回でいい」という宗派もある様子。

あと、その「宗派」も、故人にあわせるものなのか、自分の宗派の方法でやるべきなのか・・・って話。


極端な話、仏式の葬儀に来たキリスト教の人はどうしたらいいの?って話。

キリスト教って、お香を焚くっていう習慣は無いはずだし。


まぁ、「結局は気持ちだよ」ってコトなんだろうけどね。

宗教観に厳しい故人でもない限り、「線香は立てなきゃいけない!」って怒ることも無いんじゃないの?って思っちゃう人だったりします。


そこまで言っちゃうと、「聞いてもさっぱり分からないお経、死んだとたんにありがたくなって成仏するもんなのかね?」とか思っちゃう人だったりするわけですが。


「信じるものは救われる」なんて言いますけど、これも「いいとこ取り」なセリフだと思いませんか?

「13日の金曜日」はキリスト教に由来するものですし、「厄年」ってのも神道に由来するものじゃないですか。

信じるからこそ「悪いことがおきる」って思っちゃうってのは、「救われてる」とはいえないと思うんだよなぁ。


なんていうか、日本人っぽいドライな宗教観でいいんじゃないかなぁ?って思うんだよ。

いい所も悪いところも見えてくるんじゃないかな?って思うのです。


悪いことを「理解して」深く信仰するならともかく、悪いことを「悪くない」として信仰するのはどうかな?と思うのです。


人の付き合いにしても、そうだと思うんだよ。

「どんなわがままも許してくれる」っていうのを「やさしい」とは思わないんだよね。
悪いことは止めたり叱ったりするのが、「やさしい」だと思うんだ。

「あの人に優しくしたい」ってのは、「あの人の行動すべてを否定しない」ってコトじゃないと思うんだ。

「それ違うんじゃない?」って言える関係のほうがいいと思うんだよ。

我慢を最小限に出来るっていうか。

「気を使うのがイヤだから、気を使わないでください」
「言いたい事言っちゃうから、言いたい事を言ってください」

たいていの人にはそういう風に接したいし、接して欲しいワタクシ。


まぁ、「言いたい事言っちゃうから」ってのは、この日記読んでれば分かると思うけど(笑)。


と、そんなわけで本日の日記でした。

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