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2008年8月24日(日)

涙があふれた

昨日他界した、親戚の通夜でした。

香典の管理のために、叔父?(距離をたどれば結構遠戚な人)と、香典の記帳をずっとやっていました。

通夜の席には列席出来ませんでしたが、それは了承の上に手伝っていました。

係りの人が焼香台を持ってきてくれたので、それで焼香させてもらいました。


ここ数年といわず、ここ数日でも進行している気がする「涙もろさ」。

式場で、葬儀に当たってのお坊さんの話なんぞを聞いたら、爆発しててもおかしくないぐらい。

式が終わり、香典の会計も一致して終わってから、棺の窓から故人の顔を見ただけで、あっという間に涙が溢れてくるわけですよ。

こんなに涙もろかったっけ?って自問自答したって、多分出てる涙が一番の答え。


まだ25歳。「歳を取ると涙もろくなってね」なんてセリフを抜かしたら、「何言ってるんだ」って言われるような歳ですよ。

でも、確実に進行してる。
ちょっとしたことでも簡単に目が潤む。


悪いことだとは思わないけど、号泣しすぎるのもどうなのかな?って言うのも事実。

今回の故人との関係は「祖母の妹」。
親交があったから・・・ということもありますが、さらに近い祖父母や、両親が亡くなった時、正気じゃいられないんじゃないか・・・とまで思ったり。


何でこんな風になったのか・・・っていうのを考えると、いろいろと思い当たる節もあるんだけどね。



多分、根っこは中学生の時に他界した祖母(今回の故人の姉に当たります)の葬儀。

泣いているところを見せたくなかったんだろうね。納棺や、葬儀もちょっと離れたところから見ていました。

弱いところを見せたくなかったんだと思います。

告別式が終わり、出棺の時に、溜まっていたものが爆発。
もう、言葉にならないぐらい号泣したのです。



多分、それぐらいから、
「変に格好をつけるのを止めよう。」
「変なプライドで自分を押し殺すのを止めよう。」
「自分に素直になればいいじゃん。」
「隠して上っ面だけ格好つけたって、何にもならないじゃん。」

なんて事を思うようになったような気がしています。

そう思ったときから、気分としても楽になっただろうし、妙な努力をしなくなったので、自分らしくなれたのかな?と思います。


それから10年。
祖母の葬儀のときに「ひこーきにのってきた!」と言っていた少年が高校生になっていました。

そして、ボクは思いっきり涙もろくなった(苦)。

多分、もう戻る事はないと思う。
このまま「涙もろい」が、「超涙もろい」になって・・・


親戚に「あの人は涙もろい」って言い継がれるようになるかもしれない。

でも、感情が乏しいよりいいと思うのです。

どんな事があっても、ムスッとしているよりは、楽しい時に笑って、悲しい時に泣いて、怒る時には怒った方がいいんだと思うんだよね。

もちろん、理性と限度は持った上でね。


と、そんな感じで本日の日記。

明日は告別式。悔いの無い別れをしたいと思います。

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