昨日他界した、親戚の通夜でした。
香典の管理のために、叔父?(距離をたどれば結構遠戚な人)と、香典の記帳をずっとやっていました。
通夜の席には列席出来ませんでしたが、それは了承の上に手伝っていました。
係りの人が焼香台を持ってきてくれたので、それで焼香させてもらいました。
ここ数年といわず、ここ数日でも進行している気がする「涙もろさ」。
式場で、葬儀に当たってのお坊さんの話なんぞを聞いたら、爆発しててもおかしくないぐらい。
式が終わり、香典の会計も一致して終わってから、棺の窓から故人の顔を見ただけで、あっという間に涙が溢れてくるわけですよ。
こんなに涙もろかったっけ?って自問自答したって、多分出てる涙が一番の答え。
まだ25歳。「歳を取ると涙もろくなってね」なんてセリフを抜かしたら、「何言ってるんだ」って言われるような歳ですよ。
でも、確実に進行してる。
ちょっとしたことでも簡単に目が潤む。
悪いことだとは思わないけど、号泣しすぎるのもどうなのかな?って言うのも事実。
今回の故人との関係は「祖母の妹」。
親交があったから・・・ということもありますが、さらに近い祖父母や、両親が亡くなった時、正気じゃいられないんじゃないか・・・とまで思ったり。
何でこんな風になったのか・・・っていうのを考えると、いろいろと思い当たる節もあるんだけどね。
多分、根っこは中学生の時に他界した祖母(今回の故人の姉に当たります)の葬儀。
泣いているところを見せたくなかったんだろうね。納棺や、葬儀もちょっと離れたところから見ていました。
弱いところを見せたくなかったんだと思います。
告別式が終わり、出棺の時に、溜まっていたものが爆発。
もう、言葉にならないぐらい号泣したのです。
多分、それぐらいから、
「変に格好をつけるのを止めよう。」
「変なプライドで自分を押し殺すのを止めよう。」
「自分に素直になればいいじゃん。」
「隠して上っ面だけ格好つけたって、何にもならないじゃん。」
なんて事を思うようになったような気がしています。
そう思ったときから、気分としても楽になっただろうし、妙な努力をしなくなったので、自分らしくなれたのかな?と思います。
それから10年。
祖母の葬儀のときに「ひこーきにのってきた!」と言っていた少年が高校生になっていました。
そして、ボクは思いっきり涙もろくなった(苦)。
多分、もう戻る事はないと思う。
このまま「涙もろい」が、「超涙もろい」になって・・・
親戚に「あの人は涙もろい」って言い継がれるようになるかもしれない。
でも、感情が乏しいよりいいと思うのです。
どんな事があっても、ムスッとしているよりは、楽しい時に笑って、悲しい時に泣いて、怒る時には怒った方がいいんだと思うんだよね。
もちろん、理性と限度は持った上でね。
と、そんな感じで本日の日記。
明日は告別式。悔いの無い別れをしたいと思います。