前日の日記

翌日の日記
 
2008年6月10日(火)

考えるのを忘れない

結論ありきで文章を書くのは楽。

その結論を否定する情報を理由としてあげなければ、説得力がある文章に見えるから。


同じ文章を読んだ人たちが、情報交換をしたり、議論するというコトは、そう容易じゃなかった時代なら、それに対する疑問は一人一人の中で完結してしまって、広がる事は無かったんだと思います。

でも、ネット上でさまざまな意見がやり取りされている状態では、その記事の稚拙が暴露される結果になっているのでは?と思うのです。


近年起きる凶悪犯罪において、「悪」と「決められて」書かれるのは「インターネット」と「ゲーム」。

先日の通り魔事件を受け、新聞にこんな記事が載っていたのです。

凶器の「ダガー」は、「バイオハザード」で武器として使われ、「ドラゴンクエスト」では、店で容易に手に入れることが出来る。と。


「ゲームが悪い」っていう前提の下に書いてあるとしか思えないのです。

どっちも大してやった事が無いんですが、「バイオハザード」にしても、「ドラゴンクエスト」にしても、「ダガー」は「強い武器」ではないワケですよ。

ゲームに影響されたのであれば、より強い武器を求めると思うんです。


マスコミの「ゲームが悪い」理論は、「現実的で残酷なゲームが、凶行の原因となっている」という流れが多いわけですが、剣と魔法のファンタジーなゲームで、文字情報だけしかない武器を、残虐性の薄い展開で行っているゲームを槍玉に挙げるというのは、自己理論の崩壊なんじゃないの?と思うわけで。

また、根底として、「犯人の特殊性」だけを強調し、「そこが悪い」と言い張る部分もあると思うんですよ。


要は、「オタク趣味が悪い」という前提の報道が多すぎるんじゃないか?という話。

そこで議論が止まって、「それが全ての原因」というように報道するのは、稚拙すぎると思います。

許される訳ではないのはもちろんですが、原因は一つじゃないし、まったく同じ環境で育った人が居るわけでもないし、もしまったく同じ環境で育った人間が居て、全てが同じ行動をするという証拠もない。

限りなく近い環境で育ったと思われる双子や兄弟ですら、性格や考え方に差異があるわけだし。


レッテル貼って、それと違うから自分は大丈夫。って言いたいだけ?っていうのが多すぎると思うのです。

「同じ歳の人間は、同じ考えで同じ行動をする」とか、「男性はみんな同じ考えで同じ行動をする」というような理論ぐらいムリがあると思うんですが、いかがなもんでしょうか。


趣味だ、嗜好だという「見えやすくて叩きやすい表面上のもの」には大して真実なんて見えてないと思います。


無理やり結論。

与えられた情報を鵜呑みにするな!
情報から考えて、その上で理解するべし!


誰かが言った。
「人間は考える葦である」と。
逆に言えば考えなければ葦程度の価値しかないってこと。


ちょっとぐらい考えようぜ。と。いろんな意味で。

そんな感じで本日の日記でした。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL 

コメント (0)

コメントを投稿

※メールアドレスは管理人にのみ通知され、公開されません。