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2008年4月 6日(日)

ある事が当たり前なもの

日が落ちた少し後。
なんとなく違う空気の匂い。

言葉では説明できない「なんとなく違う」匂いに、なんとなくなつかしさを覚えたり。


札幌に戻ってきて結構経つのに、なんかコレが札幌っぽい・・・って思うのは向こうで生活して最初の里帰りの時期がゴールデンウィークだったからなのかなぁ?とか思ったり。

で、昼ぐらいの飛行機に乗ると、大抵日が落ちる前ぐらいに帰ってきていた・・・っていうのもあるのかなあ?と。


別になんでもないことなんだけど、深呼吸したくなる空気だったんですよ。

なんで空気の匂いが変わるのか。
なんで懐かしかったのか。

その辺はよくわからないんですが、なんか妙にすがすがしかったなぁ・・・と。


早朝の空気とかなら判るんだけど、こんな時間でもあるんだ・・・なんて思ったんだけどね。


と、言うわけで、いがらしです。

自然の匂いっていいよね。

たしかに都会は便利かもしれないけど、自然と共存しているような田舎とかもいいモンですよね。


都会のビルや、地下街って、どちらかというと「自然に対抗する」っていう形で成り立っている気がします。

でも、農村とか漁村とかは、「自然と共存する」っていう方向があるんだと思うんですよ。

人間も自然の一部なのに、自然の中よりも自分で作った場所で活動する方がいいんでしょうかね。


よく、「あの国に行けば、○万円あるだけで一生暮らせる」みたいなことをいうコトがありますが、テレビもラジオも無いようなトコロで「暮らせます」と言われても暮らしたいか?と言われたら別の話ですよね。

それと一緒で、「便利な人工物」に囲まれた生活をしちゃうと、それが無い生活はムリなのかなぁ?って思います。


たとえば、今現在の自分の生活で「便利」と言われるモノを一つ一つ外していった時にどこまでいけるか・・・って考えるといいのかも。


いわゆる、情報関連機器で並べてみますと・・・

携帯電話 インターネット パソコン 固定電話電話 テレビ ラジオ 新聞・・・

一応「一般化してきた順番」で書いてみたつもり。
携帯電話とインターネットはどっちかな?とか、「通話のみだった携帯電話」は別物だよね・・・とか、微妙なトコロもありますが。

コレを順番に無くしていったとして、何処までなら生活できますか?ってコトなんだろうね。

ボクは携帯電話は無くても何とかなりそうですが、ネットとPCが無いとちょいとマズい・・・ってラインかな。

コレ、古いほうから順番に・・・なら何とかなるんだけどね。

新聞・テレビ・ラジオの代用にインターネットが使えて、固定電話の変わりに携帯電話が使えますし。

便利になると、それを捨てるのには代替品が必要になってくる・・・ってコトなのかな。


・・・で、それが突然使えなくなった時にしっぺ返しを食らうんだよね。


無くても何とかなる「保険」みたいなのは考えてた方がいいのかな?って思いますけどね。

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