書くことないです。はい。
コレだけで終わるのも一興で一驚で、いいインパクトを産むような気もしますが、それでもどっこい書くのが「気ままスタイル」(苦笑)。
さて、何書きましょうかね・・・
ココ最近、「本」というのから遠ざかっていたのですが、久々に本読んでます。
流行から遅れること数ヶ月。「バカの壁」を読んでます。
読み始めたのが、例の事故の前で、その時点で7割程度を読み終わった状態。
その後、読む時間がなく、少々離れております。
内容的にも、あと1〜2回は読みたいなぁ〜なんて思ってたり。
ところで、皆さんは「本」って読んでますか?
著作権が切れた文学作品は、ネット上で読めたりするわけですが(例えば、
青空文庫。他は知りません:苦)、どうも、ワタクシはディスプレイ上で長文を読むのが好きではないらしく、どうも読む気になりません。
一方、紙媒体になりますと、1日で文庫本1冊を読みふけるほど、見続ける事が出来たりします。
「縦書き」と、「横書き」の問題なのかなぁ〜なんて思ったりするわけですが、なんだか、そういう訳でもないようなんです。
同じ視覚から入る情報のはずなのに、不思議な物ですね。
昔は、「情報機器が発達すると、紙媒体がなくなる」と言われていた時期があったらしいのですが、紙媒体はちゃんと生きています。
それは、やっぱり「何か」が違っていて、消えることはない。
「特色があるもの」は消えにくいってコトなんでしょうかね。
たとえば、消え行く物の一例として、「ポケベル」でしょうかね。
ポケベルが流行ったころの携帯電話って、良くてカタカナ表示が限界で、ディスプレイも、数字が10桁分しかなかった訳ですよ。
ついでに、携帯電話の料金も「贅沢品」の域を出ないものだったんでしょう。(自分の経験があるわけではありませんが。)
一方通行でも、「連絡を求めている」と言う意思表示が伝わると言うだけで価値を見出せたんでしょう。
んで、そのうち、メールだ、サイトだっていうWeb接続機能がついて、「文字」が扱えるようになり、料金が下がり・・・と、ポケベルの機能を完全に内包する物が出来てしまった。
内包してしまったから、それをワザワザ使う必要がなくなった。
「相手に、自分が連絡をしてほしいと言うことを伝える」と言うことに限れば、携帯電話を持っていれば、その費用はゼロですからね。
発信して、相手が取る前に切れば、相手に着信履歴が残りますから、最初のポケベルと同じことが出来ている・・・ハズ(実はポケベルをあまりよく知らないワタクシ:苦。)
「紙媒体」は、「情報機器」に内包できない要素が沢山あるから、廃れないのかなぁ〜なんて思ったり。
まぁ、パピルスの時代からですから、そう簡単に変わらないと言った方が正しいのかもしれませんが。
と、言うわけで、適当に間に合わせ考察でした。